ひとりおしゃべり

頭の中のおしゃべりです。

希死念慮が自己紹介たり得てしまうやつ

何のために生きるのだ人間。
という気持ち。

重度の鬱という診断が数年前におりています。
文野さんです。

 

メンクリに(勝手に)行かなくなってからほぼ半年。
またメンタルが一人ではどうにもならなくなってきたので、通院を再開しようかと思うなどしています。
薬を飲み続けて「少しマシ」の状態が長らく続くと、「飲まなくてもいけるのでは?」と思うし「薬を飲み続けないとマシになれない惨めさ」もあったりして。嫌気がさしてやめてしまった。
嫌気自体はずっとあるにはあって、先生のいる診察日と公休希望申請を取り間違えたというきっかけ(リカバリーのエネルギーが無かった)がひと押しだったけども。

 

熱中症対策に「喉が渇いたと思ってから水を飲んでも遅いのだ」という言葉は良く聞くけれど、多分私の私に対するメンタル対策もそんな感じ。
色々な事が相まって事前に悪くならないよう対策をとるなんてことが出来ない。
出来てたら今も尚こんなんなってねーわという感じでもあるが。

メンクリの予約取るのめんどくさいなぁと思いつつ。
その時に伝えることメモとしてつらつら。
それ以外の思考整理と吐き出しにもつらつら。


希死念慮についてはずっとある。生まれてから今までの半分から8割くらいの間は、ある。
明確に「20歳で死のう」と決めたのは中2の頃だったか中3の頃だったか。そのあたりから、リミットは18から35までぶれたりもしたけれど、自殺を大きな明るい希望として生きてきた。その選択肢には後光が差してた。それくらいの希望だった。
それでも希死念慮を抱かずに過ごせた期間はあって、だけど同時に恐ろしくて仕方がなくて。高校生の頃。このまま死にたいと思わなくなってしまうのではないかと思って、希死念慮を忘れ去ってしまう自分が怖くて。「お前は20歳までに死んでくれないと困る」という呪いを自分から自分へ掛け続けた。結果、戻ってきた希死念慮を握りしめて安堵する、ということを繰り返した。これがまずかったのは重々承知ではある。
そんな状態を何年も何年も重ねて、実家内と大学とサークルと自分への呪いとが相まって限界を越えに越え。首をくくるも上手くできずメンクリに駆け込んだところ重度鬱の診断をもらうんですがまあその辺はいいや。

 

「夢を持とう、夢はあるか」みたいなのに遭遇する度、私は「死ぬことだ」と思う。今でも。口には出さないけど。
楽しいと感じる時があることと死にたいことは、それはそれこれはこれで。でもそういうことではなく、未遂に終わったことで自分の中から一旦遠のいた「死ななければならない」という呪いの分が空虚で、また慣れた感覚に安心したくて手放せないだけなのかもしれない。
いずれにせよ、明日死ねるのなら死ぬだろうと思う。

 

私に関わってくれる人は可哀想だ。という気持ちがある。
メンタルが大きくやられている人と相対するのはとても削れる行為だ。気持ちも引き摺られるし、何かしらが削れる感覚があるものだ。
一緒に楽しく過ごした相手が、一緒にいる以外の時に延々と死にたがっているというのは控えめに言って好ましい気分になる筈もなく。
楽しいこと、楽しい場所、楽しい人、楽しいもの、全部なにもかも私の抑止力にはなり得ないし、自分の認識に何年もかけてなり得なくさせた。から、余計にだろうと思う。
常に可哀想だと思って接しているわけではないんだけれど、メンタルの調子がどん底の時にはよく思う。失礼かつ傲慢な考えであるとは自覚している。
自分のメンタルの波に付き合わせてしまって申し訳ないという気持ちからくるものであるのに、どこ目線なのか。

 

精神的自傷癖についてはまた今度にしよう。

先生に言うこと多いなぁ。仕方ない。