自分以外の誰かと一部でも生活を共にするということ
勢いでブログを作り、何個か記事を書いて以来放置したまま2年弱経ちました。そういう感じで生きています。
そして久しぶりに書きたいことがあってきました、文野です。
最近というか、ここ1年弱の間で考えていることがあります。
誰かと生活共にすること。または、生活を送る上で協力関係を結ぶこと。
結婚についての話か、と問われればそうだけど、そうじゃない。本当にそれしか、さらにいえば恋愛による結婚しか選択肢はないのか、という話です。
私はAセクシャルを自認しています。中でも、恋愛対象も性愛対象もないAロマンティックAセクシャルです。「だからそういう話を考えるのか」と思われるのも嫌なのであまり言いたくはないんですけど(Aセク自認以外でも全然考えたらいいのにと思うので)。
私には、ハナから相互恋愛による結婚(法的婚姻)の選択肢がありません。私がしたくないからです。別にそれを悲観することも、その選択肢を獲得するために何かしらの行動を起こそうとも思いません。
しかし、死ぬまで1人で生き抜きたい、誰かと生活を共にするなんてありえない、という訳でもまた、ない。生活を共にせず生きることは選択肢のひとつとしてありかなとは思いますが、まあ、確固たる選択ではない。
そんな中で、誰かと一部でも生活を共にすることを考えようとすると、現行の世の認識では「結婚」以外に何があるのか、という空気がある。「男女が基本だけど、最近はなんか同性婚とかもあるよねー」程度じゃなかろうか。なんというロールモデル、選択肢の少なさか。「それ以外を選んでる人だっているよ」っていうのは「これくらい沢山選択肢があるけど君はどれにする?」っていうのが主流にならない限り意味を成さないと思っているので今回は置いておきます。
とにかく、「恋愛」及び「結婚」が誰かと一部でも生活を共にすることの選択肢のほとんどを占めている。数択に見せかける隙もなく一択、くらいに。
私はそれをぶち壊して生きたい。し、似たようなこと考える人とじゃなきゃ暮らせないのかなって思う。
まず、生活レベルが合って相手に嫌悪感がなければ、恋愛によらなくても婚姻関係は結べると思うし(結ばなくてもいいし)、生活はできるし、恋愛がなきゃ困ることもないと思う。友情結婚の(友情もない結婚も)、婚姻関係のない共同生活も何がいけないのか。そして1人対1人で支え合う必要もなくて、シェアハウス的に複数だっていい。
同居も必須じゃないと思うし、近場に住んだり住まなかったりして、複数人でその時余裕のある人たちが困ってる人に手を貸すシステムでも全然構わないと思う。恋人でも、友達でも、顔見知り程度でもいい。
そして、未来永劫その関係の維持を義務付けなくてもいいし、定期契約でもいいと思う。
できる。できるんだよね。双方の、全員のその関係を維持するという合意があれば。理想論だとは思うけれど。そんなこと言ったら現行の制度だって理想論で言えば全て円滑に進むことになるからいいんだよ。
問題は、「法的結婚」を経ないと社会的に人間と認められない風潮が根強いせいで、それら選択肢が選ばれ辛さを極めること。「とにかく結婚しとかないと」っていう空気のせいで、それ以外の選択肢を選びたい人たちが可視化され辛いこと。選んだとしても、周囲からの理解が得られ辛いこと。
壊すには骨が折れそう。
私は「恋愛による法的婚姻」しかない選択肢欄をぶち壊したいけど、1人じゃ無理なので同じようなみんな達は気が向いた時に微細なヒビでも入れといて欲しい。というささやかな気持ち。
SNSだったりエッセイを出版してくださる方たちのお陰で、色んなロールモデルが私の見える範囲まで届き始めていることは、とてもありがたい。
早く沢山の選択肢の中から選ぶことが主流になればいい。人間関係を選択肢に合わせるんじゃなく、選択肢を人間関係に合わせられるように。
私は恋愛による法的婚姻を否定したいわじゃなく、それしか選択肢が用意されないことを否定したいので。
早く息苦しさが消えたらいいのに!ね!